約束



 真っ白に輝く陽光を隠そうと空に紫煙を吹き上げても、乾いた風がさかさかと掃き清めるようにさらってしまう。天頂から見下ろす太陽のまなざしが黒髪をじりじりと焼いていた。
 汗こそ流れ落ちないものの、火照った頬にまとわりつく砂埃を手の甲で拭って、俯いた視界に入るスニーカーの足を引く。膝を抱えるようにして汚れた靴紐を結びなおすと、ぎゅ、と輪になった部分をつまんだ拍子に指に挟んだタバコから灰がポトリと落ちた。小さな筒型を保ったそれは風に転がって次第に形を失い四散していく。腰を下ろしていた革製のトランクがぐんと沈んで、砂を食んでじゃりじゃりと音がした。
 タバコを咥え、背後のトランクの角を包むように両手をつく。乾いた地面にジーンズの足を滑らせると、伸ばした爪先の向こう側に乾いたアスファルトが横たわり、向こう岸には荒涼とした大地が続く。視線を遠く投げかけても辿りつくのは陽炎に揺れる地平線だけで、そのまま顔をあげれば続く青空にはやはり太陽が輝き、同じようにもう一度煙を吹き上げてみても結局すぐに消えてしまう。今度は俯かずに光に向き続け、視界が真っ白に焼き尽くされる寸前に瞼を下ろした。

 駅で同行者と道を違えたのだ。

 薄ら寒く乾いたホームの階段は、端から朽ちてぎしぎしと軋んでいた。無人の改札を抜け、蹲って幾日か過ごした駅舎のベンチはペンキも剥げ、夜にも明かりさえない。時折行き過ぎる乗降者は電車に乗りもしない人影を、気に掛ける者もあれば、ただ一瞥して過ぎる者もあった。
 レールを滑る金属の音も聞き飽き、いつまでも晴れる気配の無い空気が身体も胸の内も冷やしてゆくのを感じて、ようやく駅を出たのだった。ホームの階段と同じように軋む体を引きずって。鉛のように重い胸は知らず背を丸めさせたが、駅舎を一歩出たところからどこへでも伸びてゆく幾本もの道を見た時には、思わず空を仰いで笑った。笑い声の消えた先には一筋差し込む光の梯子が見えて、冷たい指先が暖かな光を求めたので特に考えもなくそこへ向かう道へ踏み出した。
 ただひたすら歩くことのできる時間は幸福だった。どこにつくかもわからない道でも、踏み出す右足が、左足が、しっかりと大地を踏みしめる。右足、左足、右足、繰り返すうちに身体が暖かくなり、励まされるようにさらに歩けば、着実に自らをどこかへと運んでいく。ゆっくりと流れる景色の中に自分がいる。
 遠い山の稜線も、裾野に広がる森も、横目に映る街も、視線をやるだけならただの景色だ。ああ、一本隣の道を選べばあの町へ着いていた、ああ、逆方向へ進んでいれば海へも出たかもしれない。そんなことを幾通りも考えているうちに、街へ行きたいのならこの道を外れればいいのだと気付く。道を外れ、道なき地を歩き、隣の道へ抜けてしまえばいい。戻りたいのなら後ろを向いて、来た道を引き返せばいい。
 道の外に踏み出してみるのは容易で、外れる者を遮る柵も塀もないのだから当然だ。余りのあっけなさに空を仰いでまた笑った。
 この足で歩けるところなら、どこへゆくのも全くの自由なのだ。
 人と話せば情報が得られ、働けば賃金が得られる。そうして進み続けるうちに気候も季節も移ろい、見える景色も変化し続け、今こうして仰いでいる空の青さは、電車を降りた駅からは見られなかった。

 同行者の行き先は知らなかった。案外すぐそばで同じように下車したのかもしれない。もう歩いては追いつけないほど先まで、運ばれていってしまったのかもしれない。どちらでも構わなかった。
 二人がともにあることを誰も、当の本人たちも約束しなかった。だから道を違えれば二度と会えないのかもしれない。どれだけ離れているかもわからない今、生きているうちに辿りつける距離ではないのかもしれない。
 でも、この手と足が、望んで動き進んでいくのなら。
 約束など何一つない二人が、会えても、会えなくてももうそれで良いと思っている。


 フィルタまで燃え尽きたタバコを地面に落とすと、身体を起こし足を引いて立ち上がる。砂埃にまみれたトランクを持ち上げ、熱を持った片手が前髪を掻きあげれば、開けた視界にアスファルトがどこまでも伸びてゆく。
 身体が向かうままに足を踏み出せば、一際強い追い風が三上の背中をさらって空に駆け上がった。



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これは十年くらい前に書いた”電車”テーマのSSの続きの気持ちで書きました。
読まれる方には一つも面白くない(いちゃいちゃしないし、そもそも片方しか出てこないし)と思うのですが、
完全に自己満足、自分のためだけに書いたようなお話です。すみません。

自分の意志で歩いて追いかけていくのが幸福ですよね、というお話。
だから出会えると思って追っているけど、会えないまま終わってしまっても後悔はしないのです。



20120129 板村あみの 改め 小絲