電車
用事があるのは、ひとつ前の駅。
降りて、逆方向の電車に乗り換えて戻らないといけない。
そう思う間に、眺めるホームに笛の音が響いて、派手な音を立てて扉がしまる。
(あー……)
ガコン、一つ大きく揺れて、再び電車は動き出す。
揺れて体勢がずれたのをついでに、俺は体を起こした。
拠りかかってしまっていた藤代の肩から自分のそれを離して、深く腰掛け直す。
なんで起こさねぇんだ…、口の中でぼそりと呟いて、横目に藤代を見ようとした所で、
駅の屋根で影になっていた車輌内に光が差し込んだ。
硝子一枚隔てて、その濃度を薄くした春の陽射しは、つい先まで触れていた右肩と同じくらいに暖かい。
浅い眠りから目覚めた時特有の、うっすらと心地よいダルさをため息一つで振り払う。
わずかな非難交じりの呟きにも応えなかった藤代は、今度こそ見れば、
眠るでもなく、ただじっと静かに、向かいの窓の外を見ていた。
起きたのは分っているだろう。
肩の重みは温もりを連れ去って、何よりすぐ横の呟きが聞こえなかった筈はないのだから。
それでも何の反応も返さずに、まるで俺なんか居ない様に、左から右へ流れていく住宅街の景色を眺めている。
何となくそれに習って、同じ方向に視線を向ける。
暗い赤や、藍色の屋根、灰色の集合住宅。
ふと現れたアスファルトの帯に、白い軽自動車が流れていく。
堅い直線の風景の隙間を縫うように、春色の花びらが舞う。
個々の色はつまらないのに、時折混ざる薄紅と、新しい緑色が、陽の光に滲む様に全部を綺麗に見せる。
次の駅では降りないとな。
うっすらと考える。
考える端から、藤代の纏う何時に無い沈黙がそれを飲み込んでいく。
一定のリズムで揺れるのがとても心地よくて、もう目は冴えていたけど、体を動かそうという気にならない。
奇妙に静かな車内に、次の停車駅を案内するアナウンスが響く。
声をかけなければ、俺が降りようとしなければ藤代は何時までもそうしているだろう。
それもいいか。
降りようと促す気はとうに失せていた。
このまま走りリ続けても、後五つで終点に着く。終点のターミナル駅で暫く停車したら、そのまま折り返すのだ。
その時目的の駅で降りれば良いし、降りなくてもいい。
そのまま帰っても良いし、帰る駅さえ乗り過ごしてしまうのもいい。
そういえば、逆の終点には行った事が無い。また同じように折り返すのか、それとも、今度は別の路線で走り出してしまうのか。
多分、折り返すのだろう。
同じ区間を、長い時間をかけて行ったり来たりするのだ。
そのうち陽は傾いて、暖かな空気もまた少し季節を巻き戻すように冷たくなって、夜になって、最後の往復を終えたら、車庫に入る。
真っ暗になって、誰も居ない、動かない車内に二人で居続ける。
眠くなったらまた、さっきの様に寄りかかって眠ればいい。
有り得ない自分の想像が少しおかしかった。
車庫に行く前には見回りが来るだろうし、寒さや空腹を、藤代が訴え出さないとは考えられない。
それに、そんな時間までこうやって居るなんて絶対無いし。
想像から現実へ折り返してきたところで、藤代が呟いた。
「終点が来なければ良いね」
夢みたいな事。
失笑で返す。
終わりが無くて、ずっと二人で?
言葉に表されない部分を、胸の中で補って、また笑った。
終点が無いって事は、どこへ行くかも分からないって事だ。
肩に触れる体温と、心地よい振動を振り切って俺が途中で降りたら?
二人で居ることより、到着地点が分らない不安に堪えられずに降りたら?
藤代は追いかけて降りることはしないだろう。
ほんの少し寂しそうに、それから怒ったような顔で、ホームに下りる俺の背中を見つめるのだ。
ドアは閉まって、電車は走り出す。暫くしてから振り返って、俺はそれを見送る。
後悔に満ちて重い体を、一ヶ所に留まる安心感で何とか動かして、駅を出る。
追いかける事は叶わない。
終点が無いから、もう二度と戻ってこないそれに、藤代は乗り続ける。
二人がけの席に、俺の残した空白を隣に。
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三上は詩人。
20040414 板村あみの