繋ぎとめてよ




根岸先輩はやさしい。
 パっと見冴えないなんて言われてるけど、確かに仲のいい中西先輩や、渋沢先輩三上先輩に比べたら目立たないかもしれないけど、なんというか、安心できる優しさが好きだなぁと思う。
 って伝えたときの根岸先輩の慌てぶりったら無かった。顔を真っ赤にして硬直するから、告白するのだって死ぬほど恥ずかしかったのに、更につられて頭に血が上って、危うく倒れそうになるくらいだった。
 沈黙が長いから、好きですって言った事をすぐに後悔した。恥ずかしくていたたまれなくて、心臓があんまりどきどきと跳ねるから、今に吐きそうだ、もう返事なんていらないから帰りたい、と思った。そんな気持ちに足元をもぞもぞと動かして、逃げたい、逃げよう!と踵を返しかけた瞬間に抱きしめられて、一瞬なにが起きたのかわからなかった。
 呆然とする耳元にこそっと滑り込んだ「俺も」というたった三文字がしばらく理解できず、ぎゅっとされるまま立ち尽くしていたらだんだんと鼓動が落ち着いて、息ができるようになって、なんて言ったんですか今?と聞き返そうとしたら、今度は自分の肩口に当たる根岸先輩の胸が、内側から誰かが叩いているみたいに跳ねているのがわかって、足から力が抜けてもう立っていられなかった。

「せ、せんぱ…い…」
「…ん?…おわ、笠井!!」

 がくり、と跪きそうになった俺を支えた根岸先輩の顔が、真っ青な空が逆光になって良く見えない。ああ、でもつい今まで抱きしめられていたのに、俺がフラフラするせいで離れてしまったんだ。さっきはあんなに熱くて息苦しかったのに、今はもう離れてしまった胸が、腕が切なくて。

「駄目、遠い…」

 なにがなんだかわからないけど取り合えず、おろおろする先輩に手を伸ばした俺の口から出たのは、そんな一言だった。

 ああ、先輩そんな困った顔しないでよ。
 ただ抱きしめてくれるだけでいいんだ。

 それは口には出さなかったはずなのに。
 根岸先輩は自分も膝をついて、俺が伸ばした手を引き寄せて痛いくらいに抱きしめてくれたんだ。




(っていう事が三ヶ月前にあったばっかりなのに)

 朝十時の待ち合わせから、現在午後十時。丸々十二時間一緒に過ごした、いわゆるデートという名目で遊びに出かけた先は、映画館をメインにゲームセンターやショッピングモールでのウィンドウショッピングなど。楽しい時間はすぐに過ぎてしまう、というのはまだ幼い頃友達と遊んだときに身を持って学んだ事だけど、ほんとに嫌がらせかと思うくらい時が経つのが早くてびっくりだ。
 地下鉄に乗って帰らなくちゃいけない俺を、改札まで、と送ってきた根岸先輩はこの駅からバスなのだ。だからあの、後数メートル先の改札を俺が通り抜けたら、きっとにこやかに手を振って地上に戻るのだろう。
 あんなに楽しかったのに。空は晴れて、好きな人と一緒に過ごす休日がこんなに幸せだとは知らなかった!歌いだしそうな程の気分でいた日中が今はもう遠い。日は翳って、電車が終わる時刻に近づけば近づくほど胸が塞いだ。
 離れるなんて、さびしくて耐えられない!

「どした笠井。疲れた?」

 一歩二歩と近づく別れの時に、知らず歩みの遅くなった俺を振り返って根岸先輩はきょとんとした。

「いえ、別に……」

 疲れたとかさ、そういうんじゃないでしょ。別々に帰らなくちゃいけないのに。何その平気そうな顔!
 ついさっきご飯を食べたファミレスまでは楽しかったのにな…。

「離れたくない…」
「うん?何?」
「……ナンデモナイデス」

 歯噛みして俯く俺の気も知らず、先輩はさくさくと改札に近づいていく。そんな先輩の背中をなんとも悲しい気持ちで見やる俺の脚はいっそう鈍くなるばかりだ。
 はぁ、と溜息をつくと、クルリと先輩が振り返る。溜息を聞かれたかな、どき、として立ち止まると、数歩の距離を戻ってきた先輩が俺の左手を取って再び歩き出した。

「ほら、いくぞ」
「…っ…!」

(鈍感〜〜…っ!)

「スイカ出した?」
「…はい…」
「電車終わっちゃうぞ」
「…まだ平気です」

 まだ平気なんだよ。まだ後数十分は一緒にいられるんだよ。
 遅い時間でも、明日に月曜日を控えているせいでそんなに人は多くない。改札でまごついたって迷惑にはならないだろう。
 ICを読み取るマークにスイカの入った財布をかざす。ぴ、と鳴った所で、それまで俯きっぱなしだった顔を上げて、つないだままの左手を離そうとしたら、隣の改札でぴ、と鳴る電子音に驚いた。

「え、せんぱい?」
「俺も一緒に乗っていくから」

 それならいいだろ。
 つないだ手が引っかからないように、まるでアーチを造るみたいに腕を上げて通り過ぎる。改札が閉じてしまわないうちに、と促されるまま足早に抜けると、もう一度見上げた根岸先輩の顔は、少しだけ赤くて、少しだけ怒ってるみたいで、それからすごく優しかった。

「……せんぱい……」

 ついさっきまで拗ねていた心が、嬉しいやら恥ずかしいやらでとくとくと鳴り出して溶ける。すごい、今のはささった…。先輩てばすごい…!
 自分でも解るくらい真っ赤な顔で先輩の手を握り締めると、ぎゅ、と握り返す力が嬉しかった。

「先輩、帰れなくなっちゃうよ…」
「…だから早く行こうって言ってるじゃん…」
「え、調べたの?何分?」
「27分発に乗れば…」

 ぎりぎり戻ってこれる。そういう先輩の言葉にバッと顔を上げ電光掲示板を見ると、黒地に白の時計の長針が、カチリ、と7を少し過ぎたところで止まった。それと同時に、階段を降りた下、ホームに電車の入ってくる音がする。

「やばい!」

 言うなり走り出す先輩に引きずられて転びそうになったのは、しっかり手を繋がれてるからだ。さっきまで引きずるほど重かった足が驚くほど軽やかに走り出し、自分の現金さにこっそりと笑ったら、先を行く根岸先輩も振り返って笑うから、どうして気付くんですか?って聞きたくなった。

きっともっと真っ赤になって、もっと嬉しくなるような答えを返してくれるに違いない。








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わぁい、ネギ笠万歳!

すっごくすっごくはずかしいです何コレ!!


20081109 板村あみの