1:09am




「お前って眠り浅いの?」


朝食の席で突然三上は問いかけた。表なら考えられない、寝癖に、気の抜けた眠そうな瞼。
頬杖をついてフォークで半熟の黄身にとどめを刺しながら、呆れたように。

勝手知ったる様子で準備したインスタントのスープをテーブルに置きながら、藤代はきょとんと首を傾げる。


「なんでですか?爆睡してますけど」


眠りに入るのが苦痛だったことはない。途中で目を覚ますことも滅多にない。
質問の意図を読み取りかねて三上を見つめれば、返ったのは「あ、そう」と抑揚のない返事。
頬杖を支えていた左手をテーブルに倒し、朝陽の射し込む窓に目をやりため息をつく。


「俺なんかしました?」
「…べつに」
「寝相悪くて先輩蹴り飛ばした?」
「ちげーよ…」
「えーなに!何したの俺!」
「いいから、もう」


三上はおざなりに手を振り藤代の問いかけを払った。

射し込む光の爽やかさとは裏腹に、再び大きな溜め息を絞り出しながら。









1:09am









眼鏡を外し、疲労に滲む涙を目頭で拭いながら、そっとラップトップを閉じる。
ハードディスクの回転音が消えた部屋は思いの外堅く静まり返ってしまった。
冷めきった紅茶を一口で飲み干し、そっと隣のベッドに視線を滑らすと、
仕事が終わらないから、と相手にしない三上に拗ねて、もう二時間も先にふて寝した藤代が寝息を立てている。

(俺も寝よう)

訪ねてきた後輩をほったらかした甲斐有って、残った仕事は大体片付いた。
壊れたフォーマットの修正から始まり、データの整理にグラフ化まで。あとは簡単に書式を整えるだけだった。
今日の仕事を踏まえて、次の提案書作成の叩きを考えながら、三上は持ったままのカップを流しに片付ける。
寝室に戻りがてら玄関の鍵を確認すると、やっとベッドに潜り込んだ。



休みの日ごとに都合をつけ、誰が聞いても納得しないが、今のところ誰にもせずにすんでいる言い訳をつけ、
三上の自宅で共に過ごすようになってから既に2ヶ月が過ぎる。

桜も散り、外気が初夏の匂いを乗せる様になった五月初めの金曜。
「新しいcdを買ったから」とメールを送ってきた後輩は、補足のようにアルコールやつまみと称したスナック菓子を両手に下げてやってきた。

終電の時間を過ぎても藤代は帰る素振りを見せず、三上も何も言わず。
一泊を過ごした翌日は朝食さえ用意してやり、
ミーティングだから、と腰を上げ「ネクタイを貸してくれ」と訳の解らない事を言った藤代を送り出した。

翌金曜夜、「借りた物を返すから」とメールが届いた30分後に、三上は再びオートロックを解除する。


「雑誌に面白い記事を見つけたから」

「DVDを買ったから」


どんなに些細な理由でも、必ず一通のメールの後にやってくる後輩の寝顔を肘をついて見やり、今日来たメールを思い出す。


「友達が猫を飼い出したから」


やって来るなり「ほら」と見せられたのは携帯のデータフォルダ。はぁ、と半ば呆れ気味にいくつかの写真を見ながら、笑ってしまった。


ネタがないならいい加減、ほんとの事を言ったらいいのに。


その「ほんとの事」を言われたら、自分がどれだけ動揺するかも想像せず、三上は再び笑って藤代の髪をかきあげた。
もしも相手に意識が有ったら、絶対にしない慈しむような動作をぼんやりと繰り返す。

微かな呟きと共に藤代が身じろぎした。


「…先輩…?」

「ん…?」


僅かに笑む藤代の口元に、内心ぎくりと手を引く。
些細な事なのによほどぼんやりしていたのか、ばかばかしいくらい心臓が音高く跳ね上がった。


「……」


息を詰めて、じっと見つめる。
相変わらず微笑を浮かべる藤代は、だが瞼を開けない。


「…藤代…?」


返事の無い事を期待した呼びかけに、しばらく待ってみても反応はない。
それでも、呼びかけるまでと同じ位の時間を沈黙して待ち、そっと、もう一度。今度は確認のためにその額に触れた。
反応は無い。
ようやくほう、と息を吐いて、速まった鼓動の名残で違和感の在る胸元にそっと手を当てる。
一人苦笑して、今度こそ寝ようと仰向き、布団を引き上げた。

ごそごそと衣擦れの音、自分自身が身体を落ち着けても止まないその音に、ふっと藤代に視線をやると
ちょうど寝返りを打つところだった。

三上に向かって腕を伸ばし、仰向きからうつ伏せる途中に、三上の頭を抱き込むように引き寄せる。


「…おい、藤代…」
「……ん、せんぱい…おわったの…?」
「……おお」
「……」
「……」


やっぱり起きてたのか。
気まずい思いで藤代が何か言うのを待つ。
抱えられたままでじっとしていたのは、もしかしたら寝ぼけている可能性を思ってだったか。
それとも、そこが想っていた通りに暖かかったからか。


「……藤代?」


呼びかけると、うん、と返事とも唸りともつかない声を上げる。抱いた三上の額に頬摺りをし、こめかみ辺りに唇をふれる。
何も言えず、ただじっと様子を伺っているとそのうち、聞こえてきたのは変わらず安らかな寝息だった。


「………」


藤代の一連の仕草を、嵐のような心境でやり過ごし、三上はそろそろとため息をついた。

一瞬でも目を覚ましていたのか、それとも全て夢現だったのか。
判別しかねて身動きが出来ず、そのまま大人しく、と言うより半ば硬直して身を委ねる。
そうしているうちに、すぐ目の前の胸から聞こえる微かな鼓動や、抱き込む腕を血液が流れる音が
堅く凍り付いていた部屋の静けさを溶かしていくようだった。


どちらにしろ、無理に動いて起こすのは得策じゃない、なんて。
自分こそ無理矢理な言い訳をしながら、三上は肩の力を抜いて、瞼を下ろす。
暖かくて柔らかな腕が、頬にひたりと張り付いて心地よい中、引き込まれるように眠りに落ちた。









「でも、先輩は寝言言うんだよ?」

じゃんけんの末に、シンクでスポンジを握ることになった藤代は、しつこく食い下がって昨夜の出来事を聞き出し、
赤面する顔を俯かせながら呟いた。

「は?」
「……寝言」
「………」
「………」

ソファに席を移した三上は、昼のバラエティ番組を映したテレビ画面を眺め、キッチンに背を向けたまま沈黙した。

「………」
「………」
「……何て言ってた?」
「………」
「………」
「……名前…」
「………」
「…を、呼ん…でました」
「………」

誰の、とは言わず、そして問わない事に、二人は背を向け合ったまま吐息した。





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全部通勤往復中に携帯で書きました。41CA使いやすい。

久々ですけど、自分の藤三萌えを思い出す為に一本。
社会人三上と藤代でよろしくお願いします。






20060524 板村あみの