痛ぇ
「気が付くとさ、傍に寄ってんだよね」
四限が終わると同時に、手近な椅子を引っ張ってきて勝手に落ち着いた藤代の発言を、笠井は「は?」とすげなく跳ね返した。
一瞬止めた教科書を仕舞う手は、前後の掴めない発言はいまさら珍しくもない、と再び動きだす。
「なんの話?」
「あ、ちょっと待って。写さしてノート」
散った消しゴムのカスを机の上から払って、また寝てたのかよ、と溜息混じりに呟く。
仕舞ったばかりのノートを机から出すと、どーぞ、と音を立てて机に置いた。
それを礼も言わずに持ち上げてパラパラと眺める藤代に、笠井は改めて先を促す。
「誰が誰に纏わりついてるって?」
「纏わりついてるわけじゃ………」
ノートを眺める藤代の視線は遠く、言葉も要領を得ない。
対する笠井も、腹減ってんだけどなー、と半ば上の空でポケットから出した財布の食券を確認した。
同じように空腹を訴える声が聞こえる。ざわめきは次々と廊下へ流れ出て、大半のクラスメイトは既に教室から姿を消した
弁当持参組が机をガタガタと動かす様子を眺めながら、笠井はAランチのボーナスを諦めて藤代の言葉を待つ。
「そんな気は無いんだけどさ…。なんか、普通に行動しててもふと気が付くと近くに行ってることが……」
「ふーん」
「だから何か、変に思われたらやだなーとかさー、色々考えちゃってさー…」
「意識してるって事?」
「それだ!」
バサっとノートを机に叩きつけ、唐突に戻った視線と人差し指を笠井に向けて、藤代は頷いた。
納得されても、そこに当て嵌まる人物名も判らなければ笠井にはそれ以上どうもコメントしようが無い。
これまで聞く限りじゃ、次あたりに誰々が好きなのかも…、なんて話に発展しそうだが、
男子部女子部と校舎の別れた武蔵森ではそれも可能性が低い。
(ファンのコは、そんなに身近じゃないしね…)
どう区切りをつけて食堂に行こうか思案を巡らせていると、藤代が唐突に突っ伏した。
「って意識してどうすんだよ〜!何?!意識って!あの人相手に何を意識すんの!」
「だからあの人って誰だよ」
「───…。」
「は、誰?」
「…三上先輩……」
「あぁ」
今更なんだ、と言外に含ませて笠井は席を立つ。
漠然と恋愛関連の相談事、と決めて掛かっていたから、軽く拍子抜けしてしまった。
出てきたのは、何を不思議がる事が有る、とこっちが疑問に思う様な名前だった。
「ほらもう行くよ。食券持った?」
「持ってるよ!てかなにその「あぁ…」って!」
「だって今更じゃん。 ノートは…、後でいいか」
「今更って何!そんなにわかりやすい?俺!」
「わかりやすいも何もさー。誠二って三上先輩好きでしょ?」
「はぁ!?」
妙な狼狽を見せる藤代の腕を引っ張って立たせると、さっさと教室を出る。
友人が追ってくるのを確認もせずに、なんでそんな驚くんだ、と言葉を続けた。
「渋沢先輩もだけど、三上先輩にも憧れてるんじゃないの?
チーム分けて練習試合してるときなんかずっと見てるじゃん。
一緒にプレイできないのが悔しい! って感じで」
「…………」
背後の沈黙に肯定を受けとって、笠井はやっと振りかえる。
喧騒も遠い静かな廊下を歩きながら見た藤代の顔には、珍しい種類の表情が浮かんでいた。
ほっとしたような、それでいて納得しきらないような微妙な表情。
自信に満ちた強気さの欠片も無い、相応に頼りなくさえ見える視線で笠井を見返し、
何事かを言いかけた唇はわずかな逡巡の末に閉じられる。
試合中とはまるで別人にしか見えないその様子に、思わず立ち止まってしまった。
「そっか…。そうかも…」
内心首を傾げた所で、自分を納得させるように呟く藤代の声。一歩遅れて「なぁんだ」と笑いながら笠井の横に並ぶ。
(なーんだ、って………)
一転して能天気に「あーもー誰もいないじゃん」などと足を速める藤代に、笠井は問いかけようとして、躊躇った。
(何を心配してたんだよ)
なーんだ、と安心するような、どんな心配をしてたんだ、と。
声に出しては問いかけることが出来なかった。
あんな不安げな表情をするような気持ち、たぶん答えは返ってこないだろう。
藤代は答えを言葉に出来ないだろうし、出来ても答えられない。
なんとなくそう思って、笠井は黙って藤代に並んだ。
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オフ発行の"pralines"という本で続きを書きました。
20051209 板村あみの