幸せ




空気が濃い。

「すげーあちー…」

(じゃー離れろよ)

うんざりした調子で呟く藤代に、三上は心の中で突っ込んだ。
暑いのはこっちだって一緒だ。

挨拶も無くやってきた藤代はまるで犬のように、狭い部屋の中で涼しい場所を探してうろうろし、
三上が「うぜぇ!」と怒鳴りそうになった頃にやっと、一箇所に腰を落ち着けた。
三上のベッドによじ登り、壁に向かって体育座り。
ベッドの上で胡座をかいて雑誌を捲る三上の後ろに。

「〜〜…っ」

体育座りをしたのは、三上と壁に挟まれた場所に足を伸ばせるほどの広さが無いからで、
しかも暑い暑いと煩かったのがなんでわざわざくっついて座るんだ。
馬鹿じゃねぇのか、と喉に上ってきた言葉は、それを追い越してこみ上げた笑いに飲み込まれてしまった。

行動の過程と結果が合ってない。
しかも結果が体育座り。わざわざ狭い隙間に入って来て。

ツボに入ってげらげらと笑う三上に気を良くして、藤代はもう離れようとしなかった。
Tシャツ越しに背骨が当たる。密着と言うほどにはくっついていないが、確かな感触がする。
合わさった部分は体温二人分に熱くなって、だけど時折身体を撫ぜるそよ風の心地よさと、
その熱い部分のギャップが不思議と心地よかった。かかる重みにも安心する。

背中合わせで落ち着いたまま、何をするでもなく、藤代は時折三上に話し掛ける。
中身の無い短い話題に、三上も生返事を返したり返さなかったり。

「昨日部屋にでっかい蜂が入ってきてね」
「……」
「竹巳と二人で大騒ぎだった」
「ふーん」
「………」
「………」
「それ、今月号?」
「そうだよ」
「韓国戦載ってる?」
「載ってる」
「………」
「………」
「中田のCM見た?」
「んー」
「かっこいいよね」
「そうな」
「………」
「………」
「ジャンプ買った?」
「根岸んとこで読んだ」
「なんだ」
「………」
「あとで読みに行こう」
「………」
「………」
「サンデーならある」
「ほんとに?」
「………」
「あとで読まして」
「…別に今読めば…」
「んー」
「………」
「勿体無いからいい」
「………」
「………」
「何が」
「んー…」

返事にならない唸りを聞きながら、三上はふと顔を上げて時計を見る。
十一時半、もうすぐ昼メシだな、と考えて、考えただけで何を言うでもなく再び視線を落とす。
ひっきりなしに蝉の声がして、窓を見なくても太陽の光は視界の端に五月蝿い。
瞬きをした瞬間にジッと何時に無い鳴き声がして、
見ればサッシを軽く鳴らして、一匹の蝉が網戸に停まって遠慮も無く叫びだした。

「う、るせー…」

おかしそうに笑いながら藤代が言う。
三上も笑って、近すぎて見えない藤代の方へ首をひねった。

「追い払って来いよ」
「えー。先輩行きなよ」
「やだよ。動くのタルいし」
「でもうるさいじゃん」
「だからお前行け」
「なんか投げて当てれば」
「あー」

足に乗った雑誌をパラパラと捲って、見もしない広告ページを破り取る。
くしゃくしゃと丸めると、狙いを定めて網戸に投げつけた。
標的から十センチほど離れたところに当たる。
それでも蝉は衝撃に驚いて、来たときと似たような悲鳴を残して飛び立った。

「俺なら直撃」
「うっせー」

軽く笑い合って、また黙る。
三上は元のページを探して雑誌を繰り、藤代は抱えた足の先の爪を観察しだした。

触れ合った背中にはまるで熱というモノが挟まっているみたいに、確固として熱い。
こんなに重く、蒸すような空気の中にいるのに、背中以外の箇所が寒いような気さえしてくる。

「藤代?」
「………」
「寝てんの?」
「起きてる」
「………」
「………」
「そろそろ行くか」
「食堂?」
「ん」
「………」

返事代わりのように、藤代は背中をズルズルと滑らせて、三上の横に転がった。

「ねぇ先輩」
「……」

見下ろして、笑って、手をついて、身を屈めて。

時間の進み方が遅くなったみたいに、ゆっくりと触れて、ゆっくりと離れる。

「行くぞ」
「はいはい」












-------------

なんでもないのが好き。
なんでもないのになんかする関係が好き。わがままですか。

以心伝心、なんでもないことが幸せ。







20040512 板村あみの