告解
この手を恋しい、と言った女の肌は、白磁のように美しく、冷たかった。
まるで猫のように完璧な曲線を画き出す胸元から腰の括れを、奏でる箇所を探して辿る。あさみは微かな嗚咽を漏らして、息絶えた魚のそれの様に真っ白な腹部を震わせる。
指先から離れる時間の方が短い、呼吸の様に鳴らす楽器にも似て。硬質で、寸分の乱れも無い造形と、触れた指先からじわりと染み入る気配の壮絶さ、その落差に、和賀の首筋はざわざわと粟立った。
「和賀さん…和賀さん…」
何も言葉を発さないのに焦れたのか、か細く名を呼ぶ声に顔を上げる。凍えるように見上げる瞳は潤んで光る。象牙の肌をした頬に手を沿え、なぞり、唇に指先を含ませた。
冷やりとする皮膚からは想像も出来ないほど、指を食むあさみの舌先は熱い。和賀の指先の温もりと同化させたい様に舌を絡ませる。滑り込ませるように中指も含ませ、奥へと押し込むと、グッと眉根を寄せて目を伏せた。
ふわりと冷たい手のひらが添えられる。奇麗に整えられた人差し指の爪が、ほんの少しだけ和賀の手の甲にあたる。拒否され、引き出されるかと思ったが、支えるような手はそのままにぬるりと舌が指先を包み、唇が音を立ててしゃぶった。
空いた左手でそっと額を撫で、こめかみを辿って髪を梳くと、薄く伏せた瞼が泣き出しそうに震えた。
一度は殺そうと計画した女が、殺そうとしたこの手を愛おしむ様に口づける。温もりに焦がれてやって来た女が、まるで許しを与えるように。
境界を破って、ヴェールを取り去ったあさみのまなざしは、妖しく濡れてゆれる瞬間もあれば、射るようにまっすぐに和賀を見る瞬間もある。見抜こうと探す先に在るのはおそらく、ピアニスト、和賀英良では無い。
ただその瞳だけで問いかける。
この世の栄光を一身に受けて、誰もが羨望するその才能を持って、一体何にその瞳を固く凍らせるの。
私に再生を与えたあなたの手は、何故迷うように震えるの。
幾重にも踏み固められて、まるで鉱石のように硬く凍りついた部分が、あさみと触れ合う瞬間だけ溶け出しそうになる。衝動というほどには激しく無く、だが知らぬ振りも出来ない変化に、和賀は息を呑んで瞼を伏せた。
ひれ伏して許しを請う事が出来たら、この宿命も受け入れる事が出来るのだろうか?
「…っ…」
何の拍子かひく、と震えた和賀の指先に、ちくり、と小さな痛みが刺さる。悪戯に犬歯を立てたあさみの唇と、ゆっくりと引き抜いた指の隙間にちらりと赤い舌先が覗く。
ぬめって光る唇に自らのそれを寄せて、添えられていた冷たい手を捻るように捕まえる。力任せにシーツに押し付けると、熱い舌を吸い、唇を噛み、背く顎を左手で押さえつける。刺した歯の先を舌でくるむ様に撫でる。
言葉の代わりに重ねた唇から、あさみが何も理解することが無いように。裏腹な願いを刻むように、和賀はその柔らかな胸や、秀でた腰骨に繊細に愛撫を施した。
懺悔する事は出来ない。自身を捨てた俺は、愛するべき内なる子供も、許しを与える神もすでに持たない。
今この体の下で細く嬌声をあげる女が、あの崖で新しく生まれなおす決意をしたように。
俺はどこまでも宿命に逆らい、隠し通して。最後にはこの嘘も真実にして。
変えられない宿命など無いと、もう一度言うのだ。
ふと酷く哀しい歌を聴いた気がして顔を上げる。
吐息に混じって何事かを呟く唇に再び顔を寄せると、あさみは小さく、だがはっきりと囁いた。
「大丈夫、だいじょうぶ…」
寸前で触れない和賀の唇に自ら口付けて、包むように両手で頬を撫でる。子供にするように頭を撫でる。
擦れ合う頬が温く濡れているのは、あさみの涙だと思い込んだ。
背に回された腕がさっきより少しだけ熱い。
柔らかく背中を這い回り、あさみは何かを探し当てようと和賀を抱き続ける。
見つけなくていい、思い出さなくていい。
すぐにでも別の温もりを見つけて、ここから去っていけばいい。
俺が何者かをあなたが知ったら。思い出したら。
俺はひれ伏して、許しを請うてしまうから。
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2007年のイベントで無料配布した砂の器SS。
大好きでした、砂の器。
20070910//小絲