なんでもない日

「ねーキツネ、ひまだねぇー」


 データ整理に勤しんでディスプレイを睨みつけて居るところに、ルビの間延びした声が掛かる。
客が来なければ暇なのはお前だけで、俺は一分たりとも無駄にせず忙しい、そう言いかけて不機嫌に顔を上げれば、客用のソファに腰を下ろしたルビは、部屋の主である俺の顔色なんぞ気にも留めずに大きなあくびをした。

「おい、ルビ………」

 ここは仮にも事務所、仕事場で、生涯プーを名乗る呑気者の休憩所ではない。それでも入り浸るルビ用にと、俺は親切にも専用の椅子まで用意して(ゴミ置き場からガタつくパイプ椅子を拾ってきて)やっているというのに。

「何回言わせる気だ。そ こ に、座るな」

突き刺す様に指でソファを指し示し、強調して言ってやる。この仕草も何回繰り返した事か。

「なんでよ。いいじゃんお客さん来ないんだし」
「逆だよ、お前が居るから来ないのかもしれないだろ?ちょっとは謙虚に視点変えてみろ」
「逆よ。キツネがそんなふーにピリピリしてるからお客が来ないの。控えめな思考と態度は人間関係の潤滑油だよ?」
「……………」

 何故事務所の持ち主の俺が、勝手に入り浸る小娘に説教を受けなくてはならないのか。
 しかしこうしたくだらない反論で問題がうやむやになるのも何時もの事で、俺はお約束になった溜息を、それでも普段の三割増で吐き出して、無言でディスプレイに視線を戻した。

 ルビはと言えば、言い負かしたと喜ぶでも、溜息を気にしておとなしくなるでも無く、平気な顔でソファに足を上げて横座りしている。
…さすがに靴は脱いでいたが。
 呑気な顔でズルズルと腰をずらして、ついにはころんと横になった。

「ひまー、ひまだー」
「うるさい」

「…なんか悪い噂でもたってるんじゃないの?あそこのバロックは良くない、とかさー」
「バロックがそんな噂たてるか、馬鹿」
「うーわ、サイアク。お客様を見下したその発言!」
「…お前ね。目新しい情報でも持ってきたかと思えば、人の仕事にケチ付けにきたのか」
「仕事してないじゃん。客来ないし」
「どこをどう見たら仕事してないように見えるんだ」
「だってーひまなんだもん」
「どういう…」

 答えになっていない、と言いかけて初めて、暇だと喚くルビを構ってやってしまっていたことに気付いた。


 全く!本当に何しに来てるんだコイツは!


「あぁもう!お前が居ると仕事にならん!」
「でしょ?どうせひまなんだから、気分転換にどっか行こうよー」
「でしょ?じゃない!ちょっとは反省して大人しく…」
「大人しくするから!どっか連れてって!」
「…………」

 何も言えずに頭を抱えるしかない俺は、しかし立ち上がってしまうのだ。掛けてある上着を羽織って、携帯を手にとって。

 俺が立ち上がるのを見てワーイ!と、無邪気(無邪気…?)に小躍りするルビに、俺はしかめつらしく言いきった。

「知ってると思うが、金は無い」
「わかってるよーふらふら散歩でしょ?お茶くらいアタシでも奢れるよ」

 靴を履き、トンと立ちあがって、ルビは極上の笑顔を浮かべる。
 ……堕とされた天使には不似合いな、真っ白く輝く笑顔を。

 それを目の当たりにして、ついには俺も(仕事用18種以外の貴重な)笑顔を浮かべてしまった。

「プータローに奢られるようじゃ、俺もお仕舞いだな」
「そうやって人の好意を素直に受けられない人が、良いバロックを造れるの?」
「何が良くて悪いかなんて、往々にして変わるからな」
「ヘリクツじゃん」
「お前が言うな」



 ドアを出る。
 度重なる地震で僅かに歪んだドアは、開閉の度に軋んだ音を立てる。

 後についたルビが出るのを待ってドアを閉め、不在を示す札を掛けてから、俺は事務所に鍵を掛けた。









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バロックシンドローム…ルビがかわいくて大好きでした…。
バロック屋とか、モチーフ、舞台装置、設定が素敵で…も一回やりたいなー。

20040310//板村あみの