さみしさに君の襲来



 時折、身体がひどく軽く、中身が空っぽになったように感じることがある。空っぽの身体の中で、心の音が必要以上に響くような感覚。でもそれは決して心地よいだけではない。

 ベッドで身体を起こしたディーノは、まるで空洞のように軽い自分を感じながら、ぼんやりと窓の外、夜明けの空の薄群青を見つめた。
 淋しい空の色。
 あの群青を、本当に太陽は照らすのだろうか。
 このまま夜が明けず、漆黒の闇に世界を、…この胸を染めてしまうのではないだろうか。

 空洞に滴る様に響く寂しさに呆然とベッドから降り立つ。高い天井まで一面の窓ガラスに歩み寄り、白い桟が区切る一角から空を見上げて、遠くに小鳥の囀りを聞く。朝が来るはず、太陽の光が昇るはず。そう思って、一心に遠い黒々とした木々の端を見つめる。
 そうするうちに、仄明るく木々の緑がよみがえり、空の青は次第に赤みを帯びて、瞬く間に燃え上がる朝焼けが世界を覆い尽くした。

(あぁ…)
 切迫した赤色が心臓を鷲掴みにして、ディーノは嘆息し震える声で恋しい名前を呟いた。



「…ス…、」

 控えめなノックの音にディーノは目を覚まし顎を上げた。

「ボス…起きてるか?」

 窓辺に座り込んで、眠ってしまっていたらしい。片膝を抱えるような体勢に軋む身体を起こすと、囁くようなロマーリオの声が聞こえる。

「…起きたよ、どうした?」

 何事か起きたのかもしれない、気怠さを払って立ち上がると、扉の向こうから聞こえる会話にハッとする。耳に心地よい愛しい声。今朝方、応えを切望した、声。
 急速に冴える意識で足早に、ロマーリオの「客だぜ」という言葉を聞き終わらないうちに扉を押し開けると、驚いたように見上げる天鵞絨の瞳とぶつかった。

「隼人…っ」
「…っばっ…服着て出てこいアホ!」

 裸の胸を押し返されバタンと閉められた扉にディーノは我が身を見下ろす。昨夜ベッドに入った時から全裸のままなのだ。慌ててソファにかけてあったシャツやら何やらを身に着け、改めてドアを開けると、腕を組み背を向ける隼人の背中と、その脇で肩をすくめるロマーリオの可笑しそうな表情。笑うロマーリオに下がれ、と顎を振り、背を向けたままの隼人を背後から抱き包む。

「突然どうしたんだ?何かあった?」
「…なんにもねーよ。それより、出かけるぞ」

 肩を捻りディーノから離れる。隼人はほんの少し顎を上げ、ディーノの黄金色の瞳をまっすぐ見上げた。どこに?そう問い返す間もなく今度は左手を取られ、エントランスへ向かう廊下をぐいぐいと引かれる。

「なぁ、デートならもうちょっとかっこよくして行きたいんだけど」
「安心しろ、いつもとかわんねーから」
「えー…」

 カーブを描く階段を降り切り、エントランスホールについたところで隼人が振り返る。寝癖のついた頭をかき、困ったような声を出すディーノにようやく笑顔を見せた。

「いいよ、顔くらい洗って来いよ。5分だぞ」
「5分…」
「あと、ジャケットだけ来て来い」

 言われてはたと気付く。いつもはジーンズ等のラフな格好ばかりする隼人が、今日に限って礼服なのだ。
 なんで…、そう口を開きかけると、ぎい、と玄関の両開きの扉が開いた。入ってきた若い部下の一人がこちらに気付き、隼人に歩み寄る。その腕には両腕からも零れ落ちそうな程の、大輪の白い百合の花束が抱えられていた。
 背筋を伸ばし会釈をするその部下は、花束を隼人に手渡して一歩下がる。隼人は頷き、それを受け取った。ありがとうと声をかけると先ほどより深く頭を下げ、立ち去っていく。
 ディーノはようやく隼人の目的を理解した。



 車で1時間ほどの距離を走り、辿り着いた墓地の美しく整備された芝を踏み締める。天頂に近い太陽の光は白く硬く降り注ぎ、規則正しく並ぶ白い墓石に弾けてきらきら輝いている。冬の澄んだ空気の中、前を歩く隼人の背中が心なしかいつもより硬い。一緒に来たことなど一度もないのに、迷いなく進んでいく。
 ディーノは、胸の奥が引き攣るような感覚に明け方の真っ赤な空を思い出し、同じように隼人の名前を呼んだ。

「隼人…」
「なに?」
「………」
「…あそこだろ」

 指差した先で、天使が十字架の墓石を守っている。傍まで歩み寄ると、地面に埋め込まれた石板には既に幾つかの花が手向けられ、それらに埋もれる父の名が見えた。
 隼人はゆっくりと膝をつき、花束を手向ける。ディーノもそれに倣い、隣に膝をついて両手を組む。

 父が死んでから15年余り。毎年の命日には当然、多くの部下を伴ってここに訪れている。
 いつも沢山の部下の気配を背中に背負い、毅然と牧師の祈りを聴く。作法に従い花を手向け、父の代から忠実な部下達への礼と、ファミリーの目指す姿を宣言する。変わらぬ忠誠を、そう言うディーノの言葉に多くの部下が跪き、年嵩の部下の中には涙するものさえいるのだ。
 部下を伴わずにここに来るのは初めてだった。
 囀る小鳥の声以外聴こえない真っ白な静寂の中、ディーノは背負う何物もない、空っぽの自分のままで一心に祈りを捧げる。そうすると、なぜか父の存在が強く感じられるような気がする。眼を開け顔を上げたら、目の前に立っているかもしれない、そう思えるほどに。

 ─なあ親父。一人も死なせたくないのに、どうしても零れていく命があるんだ。
 ─あいつらは笑って死んでいくんだ…、キャバッローネの為に。
 ─……もっと強く在りたいんだ…

 ほんの数分が何時間にも感じられた頃、囁くような隼人の声にディーノは顔を上げた。

「今日…」
「…ああ」
「…今日、お礼が言いたかったんだ」
「………」
「あんたがここにいるのは、親父さんのおかげだろ」
「隼人」
「…うん……」
「………ありがとう」

 黙って手を伸ばすと、微かに微笑む隼人がその手を取る。繋いだ手の温かさがディーノの胸に流れ込んで、空洞の心がずっしりと満たされ、心地よい重みを感じる。
 堅く手を繋いだまま、真冬の日の光を照り返す天使像を、二人は静かに見つめ続けた。





「グラス出した?」
「ん?ああ、出しとくよ」
「これと…、バターナイフが無い」

 市内への帰り道に調達したワインをテーブルに置き、ディーノはサイドボードからグラスを二つ取り出した。
 隼人がイタリアで過ごす間だけ利用するアパートメント。テーブルには、隼人の用意した料理がきれいに並んでいる。
 白いナプキンを片手に慎重にコルクを開けていると、キッチンから再び隼人が顔を出した。

「ケーキ…は後でいいよな?」

 ワインボトルを傾けグラスに注ぎながら、支度に熱心な隼人に笑って頷く。隣に立ち、テーブルの上を見渡す隼人が、ほかになんか足りないものない?と見つめてくるので、ディーノは堪らずその肩を抱き寄せた。

「お前」
「な…っ」
「料理もうれしいけど、俺、お前だけいたら満足」
「……アホ……」

 抱き返す腕を背中に感じ、温かい頬や首筋に口づけを落とすと、耳元で恋人が囁く。
 ありがとう、真摯な感謝の言葉に、ディーノの胸は満たされ暖かな色に染まった。








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うちのディノ獄はディーノがへなちょこで獄寺がマジ天使(別人)。




20120819//小絲