いたずら心に蜂蜜
ぽか
と開いた口から煙が立ち昇る。少しだけ仰向いて、煙が輪を作るように息を吐き出すと、天井に向けてみるみる昇っていくそれは午前十時の太陽に照らされて薄紫に見える。全身を覆う気だるさに、首を左右に折り曲げると骨の鳴る音がして可笑しい。疲れた会社員のような仕草をしてしまうほど疲労しているのに、なぜ自分はこの男を訪ねてしまったのか。
昨夜よりさらに増した疲労感が、昨夜と違って全く気にならないのはきっと。
「お前のせいだからな」
呟いて、胡坐をかく膝に吸いさしを挟んだ手を置く。そっと首を傾げて隣に眠る恋人の寝顔を見る。警戒心のかけらもない、仰け反らせた首の上で大口を開けているディーノにふと笑みを漏らして、ベッドサイドの灰皿に煙草を揉み消した。
日本に滞在するごとにディーノが泊まっているホテルは、その都度訪ねるせいで隼人にとっても馴染みだ。最上階に近いフロアに部屋はいくつも無く、こうして二人で朝を迎えたこの部屋もいつか見覚えのあるものだった。先に目を覚ました隼人が受け取ったルームサービスは、夜のうちにディーノが手配したらしい。トーストにジャムや蜂蜜、野菜や卵が添えられたそれは上品な器に盛られていて、さんざん人に憚る行為の後に食べる朝食としては出来すぎだった。
少し離れた窓際のテーブルで、その白い器に光が弾ける。窓の外に見えるのはいよいよ青い空ばかりで、ゆっくりと流れる部屋の時間があんまり明るく幸福で、綻ぶ口元を抑えきれなかった。
纏わりつくシーツを払って隣にうつ伏せ肘をつく。
間近に見える金色の髪を指先でもてあそび、いつまでも目を覚ます気配のない白皙の美貌を飽かずに眺める。少しだけ乾いた唇が気になって指を這わせると、ぴくりと震えたそれがそっと閉じられた。
「ディーノ」
呼んでみたが、起きない。
どんだけ頑張っちゃったんだよお前は…。
くつくつと笑うと、ふと思いついたように隼人はベッドを下りた。
(甘い…)
つい今まで見ていた夢の内容を忘れた代わりに、口内にじんわりと広がる甘さにディーノは目を覚ました。少しだけ熱く、味わい馴れた柔らかな感触に瞼を開けると、銀色に光る髪が頬をくすぐる。窓から差し込む白い光に眉を寄せ、続いて息苦しさに呻いた。
「…ん…っ…?」
ゆっくり、それでも深く口付けられているのをどかすことなく、起きた起きた、とでも言いそうに隼人の背中をぽんぽんと叩く。ちら、と視線を上げた隼人はディーノの眼差しに気づくと、目元だけで微笑んでキスをやめる気配もない。
「ぅ…おぃ…っ」
「…だまってろ…」
は、と息をつき一瞬離れた隙に呼びかけると、ぐいと額を押さえつけ再び貪られる。応えながらも、触れた指先が濡れているのに気付いて怪訝に目線を上げれば、口付けに集中しないディーノに業を煮やしたのか、起きあがった隼人がその指をぐい、と唇に突き入れた。
「ふぁ…ぶねっ…!」
何?と舌足らずに問うと、舌の上に甘い人差し指と中指がうねる。ああ、とその味に思い立って思わず笑うと、ディーノはそれに舌を絡めた。
「寝すぎなんだよお前は」
「ぁに。寂しかった?」
添えていた手で甘い指先を引き抜き、音を立てて口付ける。滴りそうな雫を唇で食むと、ふ、と笑った隼人の目元が赤かった。
「もう朝だよ、隼人」
窘めるような言葉とは裏腹に、濡れた音をたてて啄ばむ唇は指先から手頸へ、腕へと徐々に浸食する。ゆったりと起き上がって辿り着いた隼人の唇は、艶やかな蜜に濡れて酷く甘い。味わうように舌で舐ると、零れた吐息もまた甘くて、ディーノはそのまま背中を抱き寄せ、再びベッドに倒れこんだ。
「…ぁ…」
鼻先で洩れる喘ぎに強く抱き寄せれば、抵抗なく身を預ける。動き辛さに身体を返して上に乗れば、すぐ下で可笑しそうに笑う隼人が言った。
「もう朝だよ、ディーノ」
「……しない?」
真顔で首を傾げると、いよいよ笑いだした隼人が首を振る。
する、と言って伸ばした腕が首に絡んだので、引き寄せられるまま首筋に顔を埋めれば、蜂蜜よりも甘い香りが胸いっぱいに広がる。
指先や髪の毛一本まで満ちる幸福感に、ディーノは深く微笑んだ。
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蜂蜜、はちみつ、ハチミツ。
甘く、甘く…!と鬼気せまって書いてみましたが相変わらず寸止め。
すいません全年齢むけでお願いします。…。
20080618//板村あみの