Valentine Day




ハンガーから毟り取ったシャツに袖を通し、ボタンを留めるのももどかしくブレザーを羽織る。もう寮に戻るだけだからネクタイは大目に見てもらうとして、大慌てながらどうにか体裁を整えた制服の上にコートを羽織った。
荷物を引っ掴んで、お先です!と誰にとも無く声を掛ける。
練習後の疲労から、呑気に残っていたチームメイト達が顔を上げる前にロッカー室の扉は閉まっていた。

そうして部室を出てきた藤代の視界が、追いかけた目的の人物を捉えたのは、寮方向へ抜ける裏門への短い道に着いたところだった。
スラリとしたシルエット、遠目にも美しい黒が映える髪は、だが重苦しく見える事なく乾いた風になびく。
シャワーを浴びて汗を流して、着替える。藤代が慌ててしてきた事を同じく済ませている筈なのに、要領が良いのかなんなのか僅かに先に部室を出た三上は、特に急ぐ様子もなく裏門を出ようかという所だった。

口の端に笑みを上らせ、ずれたバッグを背負いなおして藤代は歩みを緩める。

毎度毎度発見次第駆け寄る(抱きつく)のでは芸が無い、と思ったのか、何気なさを装って遠く後方から声をかけようとした。その時。

「みか…」

視界に入った、三上よりも小さな人影。膝上丈で翻るスカートは武蔵森の制服だ。
三上先輩、と呼びかける声は澄んで、だが緊張に震えて上擦っていた。

「…先輩がモテてる……」

呟いて足を止めると、そっと背景に埋没する様移動した。武蔵森と言うだけ有って至る所に緑がある、おかげで身を隠す木陰にも事欠かない。
傍から見れば覗きにしか見えないが、藤代にはそんな意識も勿論罪悪感も無かった。見慣れた光景だし、今日という日付を考えれば余計に驚きも動揺も遠ざかる。
隠れたのは単に、真剣な様子で三上を呼び止めた少女への気遣いだった。

足を止め、駆け寄る少女に向き直る三上の腕には既に幾つかの包みが抱えられている。それを見てほんの少し気落ちしたような表情を見せた彼女の手にも、淡いオレンジの包装紙が見え隠れしていた。
紅潮する頬を隠す様に俯いたまま何事かを伝え、そっと包みを差し出す。余裕の無い彼女の様子とは裏腹に、三上は少しの動揺も見せずにそれを受け取った。笑みを形作る唇が、恐らく礼を言ったのだろう、短く言葉を返す。
消えた手の平の重みにパッと顔を上げ、今にも泣きそうに笑顔を浮かべた少女は、勢い良く身体を折り曲げ礼をすると脱兎のごとく走り去った。

(まぁ、ねぇ……)

それを見るとも無しに見送ってから、すっと視線を下げる。
スポーツバッグの他に右手に掴んできた紙袋を見下ろせば、そこには大小様々のプレゼントの包みが納まっている。三上の腕に抱えられた幾つかと同じような、愛らしくラッピングされた贈り物達。恐らくその殆どがチョコレートを始めとしたお菓子だろう。溢れて角を覗かせた一つからブルーのリボンの一端が垂れて、凍る二月の風に揺れていた。
名門武蔵森のレギュラーともなれば、ファンレターラブレターに始まり、プレゼントや差入れは珍しく無い。しかも今年度の選手は容姿の点から見ても恵まれていて、近隣女子中高生からの人気はちょっとしたアイドル並みだった。
ただ、いくら桁違いのレベルと人気があっても、やはり中学校の部活の話、今日のようなイベントでも無ければ、持ち帰るのに困る程の量になる事は少ない。

今日、2月14日。バレンタインデー。

想う相手に、その思いを伝える日。

オレンジ色の長方形を、抱えた幾つかに混ぜながら歩き出した三上を追って、藤代も再び足を踏み出す。俺だって負けてない、だの、しかしあんな風にマジなカンジは少なかったなーみんなおやつあげるくらいにしか思ってないんじゃないの?だの、つうか俺もなんか用意しとけば良かった!三上先輩に告りたい!だの取り止めの無い事を考えながらも、50メートル6秒フラットを誇る俊足はすぐにその背に追いついた。

「モテモテ三上先輩お疲れ様でーす!!」
「…っぶね!」

追いつきついでにガシっと肩を掴んだ衝撃で、三上はたった今受け取った包みを取り落としそうになる。何とか持ち堪えたところで両手は塞がっていたので、黄金の右足が藤代の脹脛を襲った。

「あっ!ちょっと!中学サッカー界の至宝になんて事を!」
「うっせぇバカ代。てめぇこそ俺様の脚をくだらねぇ事につかわすんじゃねぇよ」
「はーそれにしても今のコけっこう可愛かったっすねー」
「……今のコって。見たことくらいあんだろ。二年だったし」
「さーちょっと。タメだからって別に、一緒に授業受ける機会が有るわけでもないし…」

言いながら段々語尾が小さくなる。会話のネタに引っ張り出しただけだったので、容姿の是非や知る知らないはどうでもよかった。
会話の展開よりも、先程何気なく思いついた考えが思いの外膨らんで、賑やかさが常である藤代の言葉を途切らせたのだ。

(あーなんか、ほんとにチョコでも用意しとけばよかったなー)

バレンタイン=想う相手に、その思いを伝える日。女子から男子へ、勇気を出す日。
自分も目の前の自分が好きな相手も貰って当然の立場だったから、考えもしなかった。

だけど今日が思いを伝える日なら、自分がそれをしてもおかしくないんじゃないか。

告白シーンに触発されて、何も用意せずに来た自分を思わず後悔する。
今考えてみればせっかくの愛を深めるチャンスだったのに!と溜息を吐いた。

「…………」
「…………」

既にその姿を殆ど隠した太陽に追い討ちをかける様に、冬の夜はその闇をどんどん濃くしている。そんな寂しい色の空気の中、気付けば二人ともゆったりと足を進めながらも黙り込んでいる。
溜息混じりに思いに耽っていた藤代は、奇妙な沈黙に我に返ってふと顔を上げた。思わず立ち止まって三上を見る。
三上も少し先で足を止めて、それを見返した。

「なんだよ」

眉を顰める仕草はいつもと同じだが、どこかぎこちない気がする。
パッと見ただ不機嫌なだけに見える整った顔立ちの中で、印象の深い黒の瞳が時折揺らぐのだ。
その様子をしばし見つめて、考えつく原因にたどり着いて、あぁ、と藤代は笑った。

「や、心配しなくても別に、拗ねたりしてないですよ?
モテるのはお互い様だし?」

そう言って大漁の紙袋を軽く持ち上げて見せれば、一瞬言葉に詰まった三上もすぐに呆れた顔をする。

「なんで俺がそんな心配しなきゃなんねんだよバーカ」
「えーだって超か…不安そうだったもん先輩」
「ああそうか。節穴なんだなその目ん玉は」
「失礼な。てゆか先輩それ少なくない?俺大勝じゃん」

見なれた呆れ顔にさえ嬉しそうな笑顔を返しながら、それ、と三上が抱えたチョコを指す。藤代と違って、バッグと抱えた包み以外に荷物は見当たらない。
しかし三上はフッと唇を持ち上げて、顎を上げ見下ろす角度の視線で言うのだ。

「本隊は近藤が既に部屋に運送済みだ」
「うっわ、人に運ばせるもんじゃないじゃん…」
「うっせぇ重いんだよ」
「……重いって…。何個くらい貰ったんすか?」
「さぁな。……40個行くか行かないかじゃねぇの」
「………」

知らず低くなっていた声音。言葉はさっきとは全く別の理由で途切れた。

(負けてる…ような気がする……)

ハッキリした数は判らないが、1個、もしかしたら2個は負けてるかもしれない。
悔しい。やはり最高学年、「先輩」の強みか…。

藤代の沈黙に勝利を感じ取ったのか、三上も今度は不自然に黙り込んだりしなかった。

「何黙ってんだよ。藤代君は幾つだったんですかー?」
「…………」

何事か言い返そうと口を開きかけて、しかし思いつかずにそのまま閉ざす。数で負けてるのは悔しいが、思う相手の魅力が認められていると思えば、頷くしかない自分もいて。複雑な気持ちが是とする言葉を選べず、得意げな三上を恨めしげに見る。
視線の先、唇が更に言葉を紡ごうとする様子に焦点を合わせ、藤代ははたと立ち止まった。

「あ」

閃いた案は正に一石二鳥、名案と呼んで差し支えない素晴らしいアイデア。

振り向いて笑うだけで足を止めない三上の腕を、早足で追いぬきざま掴む。歩道の端、電柱の陰に身を寄せると、軽く辺りを見まわして本日の収穫を右から左へ持ち替えた。

「んだよ…」

一転不機嫌に睨む三上のマフラーを空いた右手で引っ掴むと、その至近距離をぐっと引き寄せる。
藤代の意図に気付いてハッと避けようとするも間に合わず、安定を崩した三上の腕から色とりどりの包みが零れ落ちた。

「!ちょ、藤…っ」

一瞬とは言え確かに触れ合う唇。
乾いた感触に、離れ際ぺろりと舌を滑らせて、間近に見開かれた瞳を覗き込んで一言。

「一個ゲーット」

ニッコリと勝ち誇って手を放す藤代に、三上は呆れて言葉も無い。
…言葉は無かったが、しかしそういう場合は手が出るのだった。スパンと目の前の頭をはたく。

「っ!…だってさー」

はたかれても悪びれず足元に零れた包みを拾いながら、藤代は言い訳の様に続けた。

「…俺も何かあげれば良かったと思ったんすよ。さっきの見てたら。
でもなんにも考えてなかったから、何にも無くて…。
じゃぁいっそのこと貰っちゃえ!つう事で……」

しゃがみ込んでいるせいでくぐもって聞こえるそれに溜息をつきながら、三上は相手が立ち上がるのを待つ。

どうしてそう、いつも都合よく飛躍するんだお前の思考は。

そう正面から嫌味の一つも言ってやろうとしたのだが、しかしそれは二度目の不意打ちに遮られた。
拾った包みを持ち主の胸に押しつけるついでに、その身体ごと電柱に縫い止めると、藤代はさっきと比べ物にならない深さで三上の唇を貪ったのだ。

「…っ……」

そのうち幾つが本気かは判らないが、贈り主にしてみれば恋敵である人間の手に拾われた包みは、二人の身体の隙間からまたも零れ落ちていく。
最初のうちはそれを追いかけていた三上の指先も、数度宙をかいた後に諦めた様に藤代の背に回った。

酸素を求めて、隙間から浅く呼吸する。
それさえ塞ぐ様に首の角度を変えた藤代が、応える三上の腰に腕を滑らせ更に抱き寄せた。

途端、間を詰めた足の甲に激痛が走る。

「…ってぇ!!」

背後の電柱に支えられてるのを良い事に、三上がローファーの踵でグリグリと踏みつけたのだ。

思わず身体を離したところ、今度は勢い良く腹部に拳が飛んで来た。

「っ…っぶね…!」
「死ね!」

かわされた拳を忌々しげに引き戻しながら、三上は場所をわきまえない後輩を威嚇の様にひと睨みする。足元の包みを今度は自分で拾い上げてから、乱れたマフラーとずれたバッグの肩紐を直しすり抜ける様に歩き出した。

「肉を切らせて骨を断つ……。鮮やか…」
「うっせぇよ!寄んじゃねぇ変態!」
「変態でもいいけど足はやめて下さいよー」

振り向きもせずに吐き捨てる三上を、まだじんわりと痛む足を叱咤して追いかける。三歩ほど後方にぴたりとくっついて抗議の声をあげながらも、藤代はつい緩んでしまう表情筋を抑える事が出来なかった。

「でももう貰っちゃったから、たぶん一個差で俺の勝ちでーす」

愛情表現と男勝負逆転勝利の一石二鳥だ、と一人悦にいる藤代。
俺ってあったま良くない?などとおどける藤代を、しかし振り返った三上の顔には怒りでない、なんとも得意げな表情があった。

「バカだろお前」
「何がですか!!」
「今のでプラスになるんなら、俺だって同じ数だけプラスだろ」
「はぁ?」
「一個、…二回目は二個計算だな。どっちにしろお前と俺の差は変わりませーん」

前に向き直り手をヒラヒラと翻す。一転逆の立場で「むしろお前が告ってんじゃん」などと言葉を継ぐ三上は、僅かな時間とは言えポカンと立ち尽した藤代をかえりみる事無く進んでいく。

(まぁ考えようによっちゃそう、なる、けど……)

誤魔化しようも無い夜の色を、街頭の光が白く等間隔に切り取る。見なれた帰り道の風景ももう終わると、少し先に見える寮の門柱が示していた。
そんな中無言で三上を追いながら、またも都合良く回転した思考を唇に乗せ、藤代は横に並ぶ。

「でもそれだと先輩……」

  同じだけ足せるんなら、三上先輩も受けとってくれたって事っすよね。
  つうことはアレですか、両思いってやつじゃないすかそれは。

そう続けようと、ひょいと僅か下方から笑み混じりに覗き込む。
そうして見つけた相手の表情に、思わず言葉を途切らせた。

「…先輩…」
「何だよ…」
「顔赤いよ?」
「…気のせいだろ…」

口元を押さえ顔を背ける三上。どうやら藤代と同じ所に考え至り、失言だった、と渋い顔をしている。

「…そうっすよね!やー嬉しいなー負けちゃったけど!」
「………もう俺の負けでいいから、黙って歩けよ……」
「なんだったらも一回交換しましょーか?」

浮かれた台詞への返答は、蹴りの痛みの形で藤代の足に届いた。それでもめげずに顔を寄せるのを、三上は鬱陶しげに避けながらも、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまう。

数度乞われたところで立ち止まってくれた三上の空いた冷たい左手を握ると、笑みの消えないままの唇に自分のそれを寄せる。
本日三度目のキスをした。










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すげぇ「BL書いた感」が!




20030415 板村あみの